猫のもたらすもの

2012-09-03 19.20.20

わたしの家には猫が一匹いる。
1歳と8か月の、灰色の毛をした、すごくおしゃべりなやつ。
わたしはこの猫を家に迎えるまで、動物と暮らしたことがなかったのです。
だから、始めのうちは、自分の家の中を何を考えてるかわからないものが自分勝手にうろうろしているということが、すごく不思議だった。
人間だったら、だいたいの行動の理由や目的は推測したり尋ねたりできるし、こちらが考えごとや仕事をしていたら騒がないようにする。相手の機嫌がいいか悪いか、少なからず気にして行動する。息をするように、気を遣ったり相手に合わせたりしている。
でも猫は、わたしが今まで同居してきたそういう人間たちとはまったく違って、こっちが何をしているとかどんな気分かなんておかまいなしに、自分がしたいまま、気分のままに家の中を歩きまわる生き物だった。衝撃だった。

そんな猫の暮らしぶりは、ときどき安らぎになった。
悲しい気分のとき、人間の同居人といっしょにいたくないと感じることがある。相手がいたわってくれることで逆にもっと悲しくなってしまったり、あまりぐじぐじしていたら相手を暗い気分にさせてしまうと思い、空元気を出して疲れたりするからだ。
一方猫は、わたしが泣いていても落ち込んでいても、特別やさしくしたりはしてくれない。ほんと、いつものまま、気ままにごろごろうろうろしているだけ。でも、そういうわたしの感情とは関係なく自由に動いているものを見ると、変に悲しい気分に浸りすぎないでいられたり、する。ああ、まあ、なんとかなるよなって気持ちにさせてくれる。ついでに、変なかっこで寝てたり、棚に乗り損ねて盛大にこけたり、フレーメン反応顔でこっち見たりして、自然体で笑わせてくれたりもするし。

そういう猫と暮らしていると、今まで知らなかった自分の嫌な面があぶり出されたりもした。
わたしはずっと、自分は他の人よりも他人に怒りをぶつけないタイプだと思ってたんですよ。不機嫌なときは、せいぜいむっつり黙り込むか、怒りよりも悲しみを態度に出して、積極的に相手に言葉や暴力で当たらないタイプだって。
でも違った。全然違った。
猫がわたしの意にそぐわないこと(盗み食いしたり、カーテンや服を食いちぎったり)をしたとき、わたしは水を噴き掛けて、怒鳴りつけて、隣の部屋に入れて、しばらくドアを開けてやらなかった。頭の中では、猫が人間が勝手に作ったルールを理解するはずがないこともわかっていたし、いくら言葉で罵ったって、おしおきをしたからって、それはしつけにはならないこともわかっていたのに。
結局それは単なる「怒り」の処理であり、わたしは弱いもの相手ならそういうことをする人間だった。わたしは、もう必要以上に猫を痛めつけないように、自分の怒りと折り合いをつけるルールを作った。今のところ、それでうまくやっている。(人間的には、だけど)
それでも、猫と暮らす資格なかったのかな、自分の子どもにもそうしてしまったらやだなあ、と今でも思う。猫と暮らすべきは、もっと心が広くて、あーあ、とは思っても、怒ったりしない人なんじゃないかって。でも、猫のおかげで自分のそういう面に気付けたのは、良かったんじゃないかと思うことにした。気付けたからこそ、どう折り合いをつければいいか、どう対処していくべきなのか考えられたから。

別の生き物と暮らすのは、自分と向き合うことなんだなあ。
ねこ、ありがとう。これからもよろしくお願いします。

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